結納とは、奥深いもの

結納店のWebを改訂して、大学生になる息子に感想を聞いてみた。
「うん。フツーにいいいよ。でも、オレは嫌いじゃないけど、一般的にはどうかな」
息子いわく、どうも九州結納マニュアルが一般的ではないらしい。文才がないのは仕方ないとしても、結納の説明に神仏が登場して今の時世に合わないと言うのだ。ウン、確かにそうかもしれない。
 日本の伝統的な慣習には神様や仏様が深くかかわる。
夏になれば盆踊りを踊って家に帰ってくるご先祖様を供養し、秋になれば農作物の収穫を喜び、氏神様に感謝をこめて秋祭りを行う。地域の行事に限らず、人生の節目の中でも結婚式や地鎮祭などを引き合いに出すまでもなく、いつも神仏と共にあると言っていい。例え今のボクちたにその意識がなくてもね。 
 ボクたちのご先祖様たちはチッポケで無力な自分に気づき、広大な力を持つ神仏を畏怖し崇敬してきた。そして事あるごとに幸せを願い、感謝を申し上げてきたのだ。結納ももちろん例外じゃない。
 結納を深く語ろうとすると、どうしても宗教的なことに触れざるをえない。結納は本来、立派な宗教催事なのだ。
 幸いなことに、ボクはサラリーマン時代に民俗、宗教学を仕事として学ぶ機会をもった。余程、性に合っていたらしく数年間その仕事に没頭した。その経験から、単に語呂合わせのような「縁起物」の中に、神仏への捧げ物としての意味合いがあることに気づかせてもらえた。結納には両家の結婚の約束という側面だけでなく、神仏への捧げものを通して両家の幸せを願う行為でもあるのだ。それが現代人にどう映るかは、人それぞれの価値観だろうけどね。分かるかい?わが息子殿。
 これからBlogを書くにあたって、時には息子の言う「一般的でないこと」や結納の歴史を織り交ぜながらBlogを進めていこうかな?と思う今日このごろ。
 

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